「押し付けてはいけない」「批判してはいけない」への解答

上記の意見(?)に回答する手間を省くために、リンクを貼って対応するか、コピペで対応できるように解答を作成しました。
ご活用ください。

リンク用

「押し付けてはいけない」「批判してはいけない」への解答
http://animal-liberator.net/animal-liberator/oshituke-hihan

コピペ用

【現状】

「押し付けてはいけない」「批判してはいけない」といった言葉が大ブームである。
自分は意識が高いという振る舞いとともに発言される。

【使用の意図】

・ある主張に対して、その主張を事前に封じ込めるため。・自分のアイデンティティを揺らがせられる危険を察知し、シャットアウトするため。それが例え不正義や、非倫理への指摘であっても。

【背後にある様々な無意識】

少し考えれば、これらの言葉を発することは不可能になる。
例えば、
「被差別者の人権を守ろう」
「子供を守れ」
「戦争をしてはいけない」
「人を殺してはいけない」
「環境を守ろう」
これらは押し付けであり、批判を含んでいる。

批判から、民主主義は生まれ、少数者は権利を確立してきたという歴史や英知がある。
批判ができるということは、自由の現れである。
人類は、批判ができない社会から、批判できる社会を勝ち取ってきた。
批判や押し付けの自由は、憲法に保障された表現の自由である。
批判のできない社会の恐ろしさを認識していただきたい。
自ら民主主義や権利を放棄する言動。

「押し付け〜」「批判しては〜」云々という言葉はファッション。
「わりと〜」が流行ったのと同じ現象。

押し付けてはいけない、という価値観を、押し付けている。
自己矛盾のループ。

空気によって、表現の自由や他者の価値観を押しつぶそうとする試み。
同調圧力。
空気で押しつぶす・同調圧力とは、個人的あるいは集団的な信念や、括弧付きの常識を、まるで真理のように表現し、そこから外れていることは間違っていることであるとし、封殺し、排斥しようとすること。
「忖度文化」「村社会の掟文化」の表れである。
出る杭は打たれる、ということわざにおける、出る杭を打つために使用する。
発言者は、出る杭を打っているという意識は無い。

多くの人がその言葉を、まるで自分は、多様性を認め、あらゆる価値観を包括し、知的に思考しており、意識が高い、とった振る舞いを持って発する。
しかしながら、実態は逆である。
「押し付けてはいけない」「批判してはいけない」という言葉によって、表現の自由を侵害し、多様性を認めず、価値観を排斥し、知的に思考停止しており、自分が発している言葉を内省的に批判できないほどに意識は低い。

批判を受け入れない態度の方が問題。
自分にとって不都合だから批判を無かったことにしよう、という行為であるが、これは、見たいものしか見ない、見たくないものは見たくない、見たくないものは見たいように見る、という現代の社会問題、個人的問題すべてに底通する重大な問題をはらんだ態度である。

多くの場合、少数者が意見を言うと、「押し付けるな」「批判してはいけない」という言葉が出てくる。
一方、巨大な押し付けには、坑するどころか、意識すらできていない人々もいる。

社会は押し付けでできている。
押し付けとは、法律・人権の尊重・テレビCM・メディア・義務教育・各家庭のルールなど。それらの押し付けは意識下にあり、よい押し付けもあれば、不正義も多い。

大小すべての押し付けを並べ、仕分け、評価し、変えるべきところは変え、取り入れるべきところは取り入れていくことを続けることが、より良い社会を作るということ。それは個人においても同じことである。

人権ランクが低く、報道の自由度が低く、弱者に対するいじめや虐待が続く原因は、市民自らが作っている。

【原因をいくつか】

発言者が弱いため。
アイデンティティを自己覚知できていないゆえに、自分の価値観を否定されると、自分自身が否定されたと感じる。
アイデンティティの保存、または壊される恐怖を事前に予防するために壁を作る。
アイデンティティは壊され続けたほうがよい。そのことこそが人間的成長であり、精神的成長である。

なお、これまで記載したことを認識しながら使用する人や集団もいる。
この場合は、自分たちへの批判を封殺する意図的な営み。
無自覚にこれらの言葉を使っている人は瞬時に無力化されてしまう。

真理めいたことを言うときは、反証を想定し、考えうる反証をすべて潰してから発言したほうがよい。
なぜすぐに反証が可能な発言をまるで真理のように発言し、疑えないかというと、発言者が自分の中で反証していないから。
これは、大きな問題である。
なぜ?ほんとうにそうなのか?といった問いを自分で立て、調べ、回答を出すという教育をされていないため。

【対策】

自分そのものと、自分の価値観や意見は分離する。

自分の価値観や意見を俯瞰し客観視できていれば、押し付けられ批判されても、アイデンティティに入ってこない。
価値観や意見とは一過性のものであり、自己成長とともに、変化するものであり、したほうがよい。
変化が止まった人間は、実際はもう死んでいる。

批判とは、自分の狭く幼稚な価値観や意見やアイデアを成長させてくれるものである。
批判や押し付けを受け、それを仕分けし、自分の内部に入れる、入れないを判断することを繰り替えすことによって、自分がより高まり、強くなっていく。

批判に対して批判することで、両者の認識は高度化していく。
ある価値観(テーゼ)に対し、批判(アンチテーゼ)があり、その両者を比較検討しその一段高い段階(ジンテーゼ)に到達することを意識する。
アンチテーゼを封じ込めることは、ひ弱なテーゼにしがみつくことであり、それは思考的な死であり、成長の終わりである。

【まとめ】

私たちは、
思考し、自己を客観視し、自己覚知し、アイデンティティを相対化することによって、
精神的に成長し、自立自律するそれぞれの過程にある。

ゆえに、押し付けや批判は、自己成長や集団的成長のタネである。

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