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【海賊捕鯨】日本の脱法行為で大量の絶滅危惧種が殺害

  • 2024/06/26
  • 2024/11/22

世界では捕鯨禁止の方向に向かう中、日本は依然として捕鯨を続け、絶滅危惧種や子連れのクジラなどを大量に捕獲・殺害しています。

その中でも、日本人にほとんど知られていない捕鯨として「海賊捕鯨」があります。

ネットで海賊捕鯨を調べると、概要を記載している少数のページのみがヒットし、詳細はほとんど出てきません。日本の捕鯨に関するWikipediaにも数行程度の記載。過去に海賊捕鯨を行っていた水産会社のウェブサイトに行き沿革を見ても一切触れていません。海外から見た捕鯨共同体やクジラ漁師と、日本国内から見た捕鯨共同体やクジラ漁師が異なる顔を持っている好例です。

この記事では海賊捕鯨についてご紹介します。

海賊捕鯨とは

海賊捕鯨(PirateWhaling)とは、国際的な法規制や協定を潜り抜けて行われる捕鯨活動を指します。日本はIWC(国際捕鯨委員会)に加盟していたため、表立って捕鯨ができませんでした。そこで1960年代〜1980年代にかけて、日本の捕鯨共同体はIWCの規制を逃れるため、IWC非加盟国に捕鯨船を置いて捕鯨を行い、鯨肉を日本に輸出していました。

捕鯨共同体は、ICRW(国際捕鯨取締条約)や各国国内法を逃れ、捕獲が禁じられている鯨類や、絶滅危惧種、母子、授乳中の子クジラを大量に殺害しました。このやり方に国際社会は怒りましたが、水産庁は「別段違法ではない」との見解を発表しています。官民一体となった脱法行為でした。

海賊捕鯨の手法

海賊捕鯨を行う手順は次の通りです。

まずIWC非加盟国にフロント企業を置きます。そして、捕鯨船を購入、あるいは日本から古いトロール船を送り込み、船を母船兼キャッチャーボートに改造します。母船兼キャッチャーボートとは、母船の機能(船尾にスリップウェイ、甲板にクジラ解体場、船倉に冷凍施設と冷凍保存倉庫を搭載)と、キャッチャーボートの機能(船首に捕鯨砲を搭載しクジラを殺害する)を併せ持つ船のことです。

日本人クジラ漁師が指揮をとり、現地の漁師を雇って捕鯨が行われていました。

日本は、少なくとも計18隻の海賊捕鯨船を運用していました。大西洋では船籍や船の名前を次々と変え、当局の取り締まりを回避していました。

海賊捕鯨を行っていた会社

海賊捕鯨を行っていた会社は以下の通りです。

一般人でも知っているような大企業が、海賊捕鯨を行っていました。

  • 大洋漁業(現マルハニチロ。日本の水産産業トップ)
  • 日本水産(ニッスイ。日本の水産産業 No.2)
  • 極洋(日本の水産産業 No.3)
  • 日東捕鯨

海賊捕鯨の事例

日本による海賊捕鯨は大西洋、南米、アジアなど、世界中で行われていました。取り上げるべき事柄が多いため、今回は大西洋での海賊捕鯨を中心に数を絞って紹介します。

1966年~

捕鯨船「An No.4」は、IWCが禁じていたシロナガスクジラ・ザトウクジラを年平均500名殺害し、スペイン産のスタンプを押して輸出していた。4〜6名の日本人が鯨肉処理を監督していた。

1967年~

「An No.4」を改造し「The Run」に改名。「The Run」は、IWCが捕鯨規制していた南アフリカ沿岸で捕鯨を行い、3年間にニタリクジラ、絶滅寸前だったセミクジラ、禁漁のザトウクジラなど1676名を捕獲殺害。この海域に生息するクジラの1/10を大量虐殺し、鯨肉は日本に輸出した。国際的な非難が巻き起こる。

1973年~

「The Run」の船名を「シエラ号」に変更し、船籍をソマリア(IWC 非加盟国)に移籍。

IWC非加盟国は、国際捕鯨取締条約に関係なく自由に捕鯨ができ、鯨肉や鯨油の輸出入も国際法に触れないため好都合であった。

シエラ社のベアー社長が大洋漁業の子会社「大洋カナダ」に年間3000tの鯨肉売買をもちかける。大洋漁業側の条件は「実務経験のある6人の鯨解体、検査員をシエラ号に同乗させる」こと。ノルウェー人が船長、4〜6人の日本人解体・検査員が同乗して操業を指揮。年間400〜500名のクジラを殺害し続ける。子連れのクジラも殺し続け、1つの系統群を全滅させたと言われる。鯨肉は日本へ輸出していた。

1976年

4月30日、アメリカ下院の聴聞会で共和党のベル議員がシエラ号の海賊捕鯨を告発した。それを受けてシエラ号の船籍をソマリア(IWC 非加盟国)に変更。所有会社をノルウェーの銀行を通じてリヒテンシュタインに登録。日本人4名が監督し、鯨肉にスペイン山のスタンプを押して日本へ輸出。大西洋で IWC が禁漁にしているセミクジラとイワシクジラを毎年平均500名殺害した。

1977年

国際社会の動きとしては、IWCが、海賊捕鯨に反対する決議を行う。また、南アフリカが、海賊捕鯨を禁止する法律を制定。200海里(約370km)排他的経済水域が海洋法に関する国際連合条約によって定められた。

その一方、シエラ号の1月~5月の日本への輸出量は、586t、125万ドル=3億円($1=¥240)にも上っていた。

1978年

12月18日。シエラ号の日本人乗組員4名のうち2名が元大洋漁業、他の2名が元日東捕鯨の従業員であることが判明する。58名のクジラを捕獲し、うち55名はIWCが禁じているナガスクジラ(授乳期の子連れの女性を含む)、他2名は同海域で絶滅の恐れがあるザトウクジラ、残る1名はシロナガスクジラの若い女性だった。この年の日本の鯨肉輸入量は、スペインにて2600t、ソマリアにて600t、キプロスにて2780tで、計30億円分にも上った。

IWCは日本に輸入を止めるよう勧告したが、日本は「契約の信義」を口実に拒否した。

以下の映像は、1978年12月に撮影された貴重な実際の映像です。日本人らしき乗組員の姿も見えます。

南米やアジアでの海賊捕鯨

これ以外にも、南米アルゼンチン(IWC非加盟)にて南氷洋での鯨の大量虐殺の反省から各国が捕鯨から撤退する中、日本はクジラの回遊ルートで大量虐殺・乱獲を行い、クジラを激減させた。

チリにて絶滅危惧種であるシロナガスクジラを690名殺害、ザトウクジラ13名、セミクジラ 3名、ナガスクジラ1600名以上、イワシクジラ1600名以上、マッコウクジラ1500名以上を殺害。

アジアにおいては、台湾、フィリピン、韓国で海賊捕鯨や密輸を行っていた。

1978年まで日本は台湾( IWC非加盟国)から鯨肉を直接輸入していた。しかし、1979 年日本政府はIWC非加盟国からの鯨肉輸入を禁止。そのため1980年以降、台湾からの鯨肉を、IWC加盟国である韓国を経由させ、韓国産鯨肉と偽装して輸入した。

台湾では、4隻の海賊捕鯨船が捕鯨を行い、いずれも日本の捕鯨会社(特に大洋漁業)との繋がりがあった。密輸には広域暴力団、反社会勢力が関わっている事件もあった。

以上は、海賊捕鯨の中の一部の抜粋でした。これ以外にも非常に多くの違法行為が行われ、結果としてクジラが大量に殺害されました。また、分かっている以外でも、調べられていない密輸事件、検挙されていない密輸事件はまだあると推測されます。捕鯨産業と反社会勢力が結託し、共謀している図も垣間見えます。

海賊捕鯨、鯨肉密輸事件を知るにつれ、テレビや捕鯨産業などが伝える「誇り高い日本の捕鯨文化・クジラ漁師」とは似ても似つかない姿が見えてきます。

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この記事を書いたライター

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動物解放団体リブ編集部

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