動物を利用すべきでない理由

全体像

動物を利用すべきでない根拠

  • 2024/11/07

私たちは日常生活の中で、多くの場面で動物を利用しています。しかし、普段はその利用が当たり前すぎて、その意味や背景について考える機会が少ないかもしれません。動物を「利用する」というのは、食べ物として、衣類として、また、医薬品や化粧品の実験に使うこと、さらには動物園やサーカスといった娯楽のために利用することなどを指します。

たとえば、スーパーで手に取る肉や魚、冬に着るウールやダウン、試験を受けた医薬品や化粧品には、ほとんどの場合、動物の命や健康が関わっています。また、動物園や水族館、競馬、サーカスなどの娯楽でも動物が使われ、動物の置かれる環境のひどさが問題視されることも増えてきました。

動物を利用することは私たちの日常に溶け込んでいるため、その当たり前さゆえに意識が向きにくい一方で、「動物が感じる痛みや苦しみ」について考えることが必要です。この記事では、動物を利用することについて、道徳的、科学的、そして環境的な観点から見直し、なぜ動物を利用すべきでないのかを解説していきます。

動物の意識と感情

動物にも人間と同じように意識や感情があることは、近年の科学的な研究によってますます明らかになっています。多くの動物が痛みや恐怖を感じ、仲間と絆を築き、様々な物事に対する興味や好奇心を持っています。たとえば、犬や猫が喜んで尻尾を振ったり、驚いたときに縮こまったりする姿は、私たちにとっても馴染み深いものです。このように、動物は単なる「物」ではなく、感じることができる生き物なのです。

研究によれば、豚や牛、鶏といった家畜動物も人間のように痛みやストレスを感じる能力があることがわかっています。たとえば、ストレスの多い環境では、鶏が仲間を攻撃したり、牛が落ち着きを失って暴れたりすることがあります。また、動物には好奇心や学習能力があり、仲間との関係を大切にする社会的な行動も観察されています。これらの性質は、動物がただ生きているだけでなく、豊かな感情を持って生活していることを示しています。

しかし、私たちが日常で利用する動物たちの多くは、こうした「感じる力」を無視された環境で飼育され、消費されています。たとえば、工場式畜産では、動物たちが自由に動き回れない狭い場所に閉じ込められ、自然な行動をほとんどとれない状態で過ごしています。動物が感じる痛みや不安を考慮せず、利用することが当たり前になってしまっているのです。

動物にも私たちと同じような意識と感情があると知ることは、彼らの立場に立って物事を考える第一歩です。この認識があることで、動物を「利用する」ことの問題点や、彼らが耐えている苦しみについて、より深く理解できるでしょう。

動物福祉の限界

動物の福祉に対する関心が高まる中、動物を「より良く扱う」取り組みも増えてきています。たとえば、広いスペースで動物を飼う放牧畜産や、苦痛を与えにくい方法での屠殺が「動物福祉」として推奨され、少しでも動物に負担をかけないようにすることが注目されています。

しかし、こうした動物福祉のアプローチにも限界があります。なぜなら、どんなに「人道的」に扱おうとしても、動物を商品や消費対象として利用する限り、彼らの権利や尊厳は根本的に侵害され続けるからです。動物が生まれてから命を終えるまでの間、常に人間の管理下に置かれ、自然な生活や自由は制限されています。「より良く扱う」という方針が守られても、動物は本来の生き方を奪われているのです。

また、「動物福祉」に基づいた環境であっても、動物たちは自ら望んで利用されているわけではありません。たとえば、ある農場で豚に少し広いスペースが与えられていたとしても、その豚が自分の意思でそこにいるわけではなく、最終的には肉として消費される運命が待っています。動物は私たちのニーズや欲求に応えるために利用されているにすぎません。

さらに、動物福祉の取り組みが広がっても、工場式畜産のような大規模な動物利用のシステムが根本的に変わるわけではありません。動物を大量に飼育し、効率的に利用することを目的とする以上、多くの動物がストレスや苦痛にさらされる状況は続きます。動物福祉はある程度、彼らの苦しみを和らげる役割を果たしますが、動物を「利用する」限り、その根本的な問題は解決できません。

動物福祉ができることには限界があり、動物を利用すること自体が問題の本質であるといえます。

倫理的視点:動物の権利

動物利用について考える上で、倫理的な視点は欠かせません。動物は「感じる存在」であるだけでなく、暴力を振るわれたり殺されたりしない権利を持つべき存在でもあります。この考え方は「動物の権利」という概念に基づいています。動物の権利とは、動物も人間と同じように、自分の命や自由を尊重されるべきだという考え方です。

動物の権利の背後には「種差別(speciesism)」という概念があります。種差別とは、動物を人間とは異なる種であることだけを理由に、劣った存在として扱うことを指します。たとえば、人間はペットとして飼っている犬や猫を大切にしますが、豚や牛、鶏といった動物は食べ物として消費されるのが当たり前とされています。しかし、動物の感情や意識に大きな違いがあるわけではありません。それにもかかわらず、私たちは種によって扱いを変え、ある動物には特別な愛情を注ぎ、別の動物は商品として扱うのです。

また、動物を利用することが許される根拠として「人間のため」という論理が使われがちです。しかし、動物の権利の観点から見ると、人間の利益だけを優先し、動物を利用するのは不公平です。たとえば、ある研究では、実験に使われる動物が多大な苦痛を受けていることがわかっていても、「人間のため」という理由でその苦痛が正当化されることがあります。しかし、動物には苦しみを回避する権利があり、それを人間の都合で無視して良い理由は本来ありません。

このような視点から、動物を人間のために利用すること自体が倫理的に問題であると考えられます。動物の権利を尊重するためには、動物を消費財や娯楽として利用するのではなく、彼らが自然に生きる権利を認め、動物の尊厳も守られる社会を目指す必要があるのです。

倫理的な観点から見ると、動物の利用は単なる経済活動や消費の選択にとどまらず、彼らの命と権利を侵害する行為であることがわかります。

まとめ:動物を利用すべきでない理由の再確認

ここまで、動物を利用すべきでない理由について、様々な角度から考えてきました。動物は感じる存在であり、痛みや恐怖、喜びといった感情を持っています。しかし、人間の利益のために多くの動物が利用され、しばしば苦痛を強いられています。動物福祉の取り組みが行われているものの、動物利用そのものが動物の権利を根本的に侵害していることは変わりません。

また、動物の権利という倫理的な視点から見ても、動物を利用することには多くの問題があります。私たちは犬や猫を愛する一方で、他の動物を食料や衣類として利用している矛盾に気づく必要があります。種差別をなくし、動物も人間と同様に尊重されるべき存在であるという考えを広めていくことが重要です。

さらに、動物利用は環境や経済にも多大な影響を及ぼしています。畜産業が温暖化の原因になっていることや、大量の資源が動物利用のために消費されていることは、持続可能な未来を考える上で無視できない問題です。動物を利用しない生活を選ぶことは、地球環境を守るためにも有効な手段となります。

個人ができる行動

動物を利用しない社会を目指して、私たち一人ひとりができることはたくさんあります。たとえば、以下のような行動が考えられます。

  • ヴィーガンの食生活に切り替える:植物性の食事に切り替えることで、動物の命や環境への影響を軽減できます。
  • 動物利用をしていないエシカルな製品を選ぶ:動物実験を行っていない化粧品や、動物由来の素材を使わない衣類を選ぶことで、動物の利用を減らすことができます。
  • 知識を広める:周囲に動物の権利について話したり、SNSで発信したりすることで、動物利用についての意識を広めることができます。

動物を利用しない選択は、動物にとっても、私たち自身の未来にとってもより良い結果をもたらします。私たちの行動一つひとつが、動物への配慮を示し、持続可能な未来に貢献する一歩となります。動物を利用しない生き方を選び、より平等で尊重し合う社会を築くことを目指しましょう。

この記事を書いたライター

リブ_シンボル

動物解放団体リブ編集部

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