以下に、各意見や質問に対する動物搾取反対派としての解答例を示します。
1.植物も生きている
植物は確かに生きていますが、神経や脳がないため、痛みや苦しみを感じる能力はありません。一方、動物は、私たち人間と同様、神経や脳を持ち、痛みや苦しみといった感覚、悲しい嬉しいといった感情を感じていると、科学的に証明されています。(参照:ケンブリッジ宣言)
2012年にケンブリッジ大学で発表された『非ヒト動物の意識に関するケンブリッジ宣言』では、哺乳類や鳥類を含む多くの動物が意識を持つことが科学的に認められています。
苦痛を感じていると明らかに分かっている存在の権利を奪い、暴力を振るい、殺すことは非倫理的です。
2.全員が肉を食べなくなると畜産業者が困る
残念ながら、全員がいきなり肉を食べなくなるという現象は起きません。つまり、畜産業の全てがいきなり廃止されるわけではありません。
産業の廃止や転換は、歴史上何度も起きてきました。不要になった産業が淘汰され、よりニーズがある産業が発達するのは、資本主義の機能の一つです。実際に、畜産業から植物農家に転換した例もあります。
動物産業が衰退し、雇用が減ったとしても、その代替となるヴィーガン産業が成長すれば、雇用の機会が新たに生まれます。労働者に対しては、産業の変化に合わせた再教育と、就職・転職支援が行われることになります。
3.人類は昔から肉を食べていた
「昔から」という理由で行動を正当化するならば、改善や進歩は一切ありません。戦争や性犯罪が昔から行われてきたからという理由で、これからもそうすべきであるとは言えないのと同じです。私たちの倫理観や社会のあり方は進化し続けています。私たちは、より倫理的で、他者の尊厳を尊重し、共に生きる選択をするべきです。
4.ライオンも他の動物を食べている
ライオンなど肉食動物はそうしないと生きることができません。しかし、人間は動物を食べずとも生きていくことができます。
また、ライオンは子供を殺しますが、それは人間には推奨されないはずです。ライオンの都合のいい行為だけ肯定することは論理的ではありません。
5.生きるために必要(動物を食べないと栄養が取れない)
ヴィーガン食によって必要な栄養素を十分に摂取できることは、科学的に証明されています。また、多くの栄養士や医療機関が、しっかりと計画されたヴィーガン食が健康に有益であることを支持しています。
6.逆に、何を食べるの?
ヴィーガン食には、豆類、穀物、野菜、果物、ナッツ、種子などが豊富にあり、バランスの取れた食事が可能です。美味しくて多様な選択肢があります。
7.動物は食べられるために生まれてきた
人間が動物を食べるために動物を産ませ続けているのは事実です。その事実がまさに非倫理的なのです。動物は誰からも搾取されない権利を持つべきで、人間の欲望のために生まされるべきではありません。
8.薬や医療は?
薬や医療に関しては、残念ながら現時点では完全に動物実験を避けることが難しい場合もあるため、動物実験が行われた薬を飲むことや医療を受けることは仕方ないでしょう。
しかし、動物倫理や動物擁護活動、ヴィーガンの力が強まっていることによって、動物実験を行わない、細胞による実験やコンピューターシュミレーションによる代替実験が発展しています。
それらがスタンダードになるように我々にできることはしていくことができます。
9.世の中は弱肉強食だ
自然界では弱肉強食の原理が働いていますが、人間は倫理的な選択をする能力があります。その理論が正当化されるならば、人間同士での力による支配関係や、奴隷制度も弱肉強食であるから問題がないのでしょうか?そうではありません。他者を不必要に傷つけることは避けるべきです。
10.ヴィーガンは高い
ヴィーガン食は、選択する食品や地域によりますが、豆や穀物、野菜を中心にすると経済的で、自炊をしていればむしろ肉食よりも安くなる場合が多いです。高価な代替品に頼らず、シンプルな食材で十分栄養が取れます。
逆に、なぜ肉があれほど安いのでしょうか。一つは、畜産業等は国からの補助金や支援があること。もう一つは市場が大きいことで規模の経済の力が働き、商品のコストを下げることができることです。
11.肉屋で働いているからヴィーガンにはなれない
職業の転換は容易ではないかもしれませんが、個人の消費生活を変えることは、職業に関係なくできます。その後、動物を搾取しない職業に転職することは倫理的な選択であり、動物を傷つけず、そしてあなたの心にも良い効果をもたらします。
12.自分1人が変わっても意味がない
1人の行動が変わることで、周囲に影響を与え、変化の波、動物への共感を広げることができます。最初にヴィーガンという言葉を作り、ヴィーガンになった人々は、英国に住むほんの数人でした。その変化が、今ではヴィーガンは世界中に波及し、企業も政府もその変化の中にいます。一人の変化は、確実に社会全体の変化を生み出していきます。
13.イヌイットは毛皮を着ないと生きられない
イヌイットなどの極地に住む人々の文化や生活は特殊で、日本に住む私たちの日常生活とは異なります。イヌイットの人たちはヴィーガンになるのが困難かもしれません。しかし、日本ではスーパーに行けば野菜が豊富にあり、近年では植物性のチーズやマヨネーズ、ソーセージやハンバーグなど、代替品の数も増えています。こうした特別な状況を一般論に適用するのは、議論として妥当ではありません。
14.感謝して食べればいい
例えば、感謝されるからといって、あなたや家族が殺されて食べられても問題ないとは言えないと思います。感謝はこの場面において、被害者にとっては何の意味も持ちません。
15.押し付けるな
動物に暴力や死を押し付けるべきではないと考えます。押しつけがましいと思う気持ちは理解できますが、情報提供は大切です。
16.このような汚い農場や屠殺は外国のことでしょ?
動物への搾取、暴力、殺害は、世界中で行われています。もちろん日本でも行われています。日本でも肉食が行われているということは、日本でも動物が不当な扱いを受けているということです。
17.私たちが肉を食べないと、家畜が増え続けてしまう
「家畜」の数が多いのは、人間によって意図的に繁殖させられているからです。消費が減ることで、繁殖も減り、家畜の数も自然と減少します。
また、地球上の哺乳類の重量で計算すると 家畜動物が60%。 野生動物が4%。残りの36%が人間です。人間は自らの欲のためにここまで「家畜」を増やしてしまいました。
18.優しく殺せばいいのでは?
いいえ。例えばもしあなたが「優しくするから殺していい?」と聞かれたときに良いです、とは言わないはずです。
「優しい」かどうかは問題ではなく、人間のために利用し、殺すこと自体が倫理的な問題です。
また、「優しく殺す」とはどういう状況を想定しているのでしょう。薬物による安楽死でしょうか。死ぬことを望んでいる人にとってそれは優しいかもしれません。しかし、死ぬことを望んでいない人であれば、恐怖を感じ、人生を奪われますので、優しいとは言えません。そもそも、動物産業は、動物に対して薬物による安楽死などとコストのかかる殺し方はしません。可能な限りコストを抑えた方法で行います。優しく殺す、などということはあり得ません。
19.動物はかわいそうだけど、しょうがない
私達は動物を一切食べずとも、生きていくことができます。私たちの欲のために動物を殺すことは、全くしょうがなくありません。かわいそうだと思うのならば、まずはあなたがこの産業への支援をやめる事が重要です。
20.極端すぎる
肉食が普通であり正常だと無意識にも思っている人からすると極端に感じるかもしれません。しかし、動物の苦しみを避けることは極端ではなく、むしろ理性的で倫理的な選択です。
ちなみに、今の動物利用が当たり前の社会を相対化すると、「肉食主義」と表現できます。
私たちの欲のために、毎年陸上動物だけで数百億もの命を産ませては殺す、この状況こそが極端であり、異常です。
21.動物園や水族館は、動物を守っているのでは?
動物園や水族館では、一部の動物は保護され、施設側はそれをアピールしています。しかし、多くの動物は狭い環境に閉じ込められ、精神疾患を抱え、異常行動をしています。家族やもともと暮らしていた場所から日本に連れてこられ、一生を過ごします。また、ふれあい体験のヒヨコは用が済んだら飼育員に殺され、肉食動物に与えられます。
動物園・水族館は、根本的には利益のために動物を搾取している施設であると言えます。
22.意見は人それぞれ
確かに意見は多様であり、思想信条の自由によって保障されています。しかし、動物の権利や倫理的な扱いに関する議論は重要です。例えば、「この人嫌いだから殺したい」という意見も人それぞれだからという根拠で肯定されるべきでしょうか?そうではありません。意見の多様性を尊重することは大切ですが、その前提として倫理的でない場合は肯定されるべきではありません。
23.人権問題の方が重要だ
人権と動物の権利は対立するものではありません。例えば人権問題を解決するための活動をしながら、動物を可能な限り利用しない生活は両立可能です。
人権問題と動物の権利に関する問題の両者で全く異なるのは、人権問題は日本に住む人の場合は多くが加害者ではないということです。一方で、動物の権利に関する問題は、多くの人が間接的な加害者であるということです。まずは最低限、あなた自身が動物利用産業への加担をやめることが重要です。その上で、積極的に問題を解決するための活動は、仁言問題の方が重要だと考えるのであればそちらに注力することは自由だと思います。
24.動物は痛みや苦しみを感じない
動物も痛みや苦しみを感じます。多くの科学的研究が、動物も痛みや苦しみを感じることを示しています。
痛みや苦しみは意識の働きの一部分と考えられています。2024年現在、脊椎動物のすべてと、無脊椎動物の一部は意識を持っていると考えられています。
2012年には、脳神経学者らが、動物が意識を持っているとする「ケンブリッジ宣言(非ヒト動物の意識に関するケンブリッジ宣言)」を発表しました。
この後、2019年には法律家らが『トゥーロン宣言(動物の法的人格に関する宣言)』、2022年に道徳哲学と政治哲学を専門とする研究者らが『モントリオール宣言(動物搾取に関するモントリオール宣言)』、2024年に多分野の学者らが『ニューヨーク宣言(動物の意識に関するニューヨーク宣言)』を発表しています。
つまり、動物は痛みや苦しみを感じないという意見に根拠はありません。
25.私たちの方が知能が高い
知能のレベルが命の価値を決定する基準であってはなりません。例えば、ある、知能が低い障がい者がいたら、その人の価値は低いのでしょうか?そしてそれを理由に搾取してもいいのでしょうか?
動物の権利運動において基準とされるのは、知能ではなく、苦痛の有無や内在的価値です。
意識があり、意思があり、自分自身のために生きる権利がある存在の価値を、知能の高低によって恣意的に差別することはあってはなりません。
26.私たちは動物に生きる機会を与えている
「動物に生きる機会を与えている」とは、動物のためにしてあげているかのような表現ですが、実際は自分の食欲や利益のためです。
もしあなたが、怪我や病気に苛まれる一生をすごし、生き地獄で悲しみと恐怖と痛みに喘ぎながら、屠殺され、食べられることがわかっていたら、繁殖されたい、生きる機会を与えられたいと思うでしょうか。
人間が他の動物を支配し利用すること自体が非倫理的です。
27.なんでもほどほどにすべきだ
例えば児童虐待をしている人が、虐待をやめろと誰かに言われたことに対して、「虐待をやめろという発言も、ほどほどにすべきだ」と言ったとしたら、社会は容認するでしょうか?
児童虐待が非倫理的であれば、無くすべきでしょう。それと同様に、動物搾取が非倫理的であるならば、搾取をほどほどにとどめるべきではなく、無くすべきです。
28.友達とご飯に行けなくなる
多くのヴィーガンが、友達と食事に行っています。近年、ヴィーガン対応のレストランや、ヴィーガン食を提供する店が増えています。また、事前に友人と相談することで、ヴィーガン食を楽しめる選択肢も見つけられます。
現時点では、友達とこれまで通りにご飯には行きづらくなるとは思います。しかし、それを理由に、動物への暴力や搾取を肯定すべきでしょうか?肉を食べる代わりに、社会をよりヴィーガンフレンドリーにしていくべきだと思います。
29.大豆農業は環境を破壊している
大豆の80%は、家畜の飼料として栽培されています。
とうもろこしの多くも家畜の飼料として栽培され、その栽培のために、熱帯雨林など自然を破壊し、遺伝子組み換えを行い、大量の農薬や除草剤を散布しています。
つまり、大豆農業によって環境を破壊している原因の少なくとも80%は畜産であり、肉を食べる人々です。
また飼料生産が、人が食べるための植物農業を圧迫し、単一栽培を強制していることで、飢餓や貧困の原因となっていることが問題視されています。
30.動物は前世で悪いことをした
人権や法律が、宗教や宗教的信念によって左右されることはあってはなりません。それは先人たちが戦争や殺し合いや人権侵害を経て得た智慧です。
動物は前世で悪いことをした、神は人間が動物を支配し利用するように定めた、などの信念は、動物ばかりではなく、人間にも適用されています。宗教指導者や組織、国などによって利用され、権力の維持や差別の固定化(カースト制度等)、恣意的な裁判や処刑などに用いられ、人類に多大な被害をもたらしてきた危険なものでもあります。前世や来世を理由に、今動物を搾取することは不当だと考えます。
31.子供に肉を食べさせないのは権利の侵害だ
子供に肉を食べさせないのは権利の侵害であれば、子供に事実を伝えず選択肢を与えないまま肉を食べさせることも子どもの権利の侵害です。
ヴィーガンの子供は、健康的な成長が可能であり、バランスの取れた食事を提供することで、必要な栄養素をすべて摂取できます。肉を食べる権利を主張するならば、そのせいで奪われている動物の権利も考慮されるべきです。
32. 野菜を作るのに動物性肥料を使ってるのは?
動物性肥料の問題を指摘するのであれば、むしろ畜産業自体を批判すべきです。
動物性肥料よりも圧倒的に多数の動物を苦しめ、殺しているのが畜産業であり、動物利用産業です。
動物性肥料を使わないヴィーガン農業、アニマルフリー農業で生産された野菜が簡単に手に入るように働きかけ、需要を増やすことが大切です。