娯楽に使われている動物

太地町でのイルカ漁業に対する和歌山県の公式見解 に関する見解|Project0 イルカ

  • 2020/12/07

0 イルカの生体販売(中国などの水族館)について触れない公式見解

太地町でのイルカ漁業に対する和歌山県の公式見解

まず初めに、

和歌山県の公式見解には、日本の水族館・中国をはじめとする海外の水族館に大量に売られているイルカの生体販売について一言も触れられていません。

和歌山県の見解への指摘を行った後、最後に、水族館への生体販売について記述します。

1 米映画「ザ・コーヴ」について

(和歌山県HPより引用)

本県では、イルカ漁の問題は非常に複雑であると考えています。イルカ漁や捕鯨は日本だけのものではなく、世界中の多数の地域で行われており、その多くが同じような地理的条件や、似たような歴史的、経済的背景を持っています。にもかかわらず、「ザ・コーヴ」は、動物愛護の観点から見た一方的なもので、和歌山の状況をややセンセーショナルに表現しています。
また、この映画は多くの問題を提起しています。世界中で多くの人々が肉を食べていますが、そのためには、野生にしろ大切に育てた家畜にしろ、動物の命を絶たねばなりません。と殺は通常、人目に触れないように行われており、例えば、その現場にわざわざ入って撮影することで、その行為を煽情的に描くのは、さほど難しいことではありません
映画『ザ・コーヴ』は、イルカの捕殺現場を隠し撮りし、命が奪われていく所をセンセーショナルに映し出しています。
さらに、映画では水銀汚染が誇張されていると考えられます。「イルカ肉には2,000ppmの水銀が含まれている。」と言われていますが、これは実際のデータとはかけ離れています。その他、「水銀汚染を隠すためにイルカの肉を鯨肉として販売している。」、「イルカが食肉となっていることを人々が知らないのは、マスコミがもみ消している。」、「捕鯨やイルカ漁をやめないのは、日本の古典的帝国主義にある。」など事実を歪曲した内容が多く含まれています。
太地町のイルカ漁師は、これまでも何度となく、海外からやって来る過激な動物愛護団体のターゲットとなり、漁業の妨害や精神的な攻撃を繰り返し受けてきました。太地町のイルカ漁師は、国・県の監督のもと、法令規則を守り、昔から受け継がれてきた漁業を営んでいます。
このように法に則って働いているだけの漁師をターゲットにすることは、公平ではありません。間違った情報や、日本では必ずしも賛同が得られていない一方的な価値観で批判することは、太地町でイルカ漁にたずさわってきた人たちの生活権を不当に脅かし、町の歴史や誇りを侮辱するものであり、決して許されることではないと考えます。

>「ザ・コーヴ」は、動物愛護の観点から見た一方的なもので

動物愛護とは英語ではAnimal Welfareと訳され、実質は動物福祉のことです。動物愛護・福祉とは動物の利用を前提に、動物扱いを決めようという人間中心主義の活動です。イルカを守る活動をしている人々は、それぞれが多様な立場で活動をしています。イルカだけ守れば良いという立場の人々、イルカを資源と考え資源保全を目的として活動する人々、動物を人間から解放し動物本来の生や自由を守ろうとする人々等々。この見解は、多様な意見や立場や活動を動物愛護に矮小化するものです。
また和歌山県の主張は、イルカ漁推進派の観点から見た一方的なものである、とも言えます

>大切に育てた家畜にしろ

家畜は(すべからく)大切に育てられている、という事実と異なる文章です。不自然な食べ物(牛にとっての肉骨粉や遺伝子組み換えトウモロコシなど)を与えられ、場合によっては虐待され、あるいは一生太陽を見ることがないまま殺されていくなど、非倫理的な状況下で飼育されている場合もあります。また、大切に育てるのは、動物のためではなく人間の味覚のためでしょう。言葉を持たず人間に搾取され続ける動物たちの現状を、一方的な美談で美化することにより、弱者の声なき声に気づかない人々を増やすことになります。

>と殺は通常、人目に触れないように行われており、例えば、その現場にわざわざ入って撮影することで、その行為を煽情的に描くのは、さほど難しいことではありません。

私たちは、屠殺場もイルカ漁も公開することを求めています。
野菜や穀物の刈り取りは、扇情的にはなりません。動物の屠殺は、野菜の刈り取りと同じ現実です。なぜ動物が殺される現実を目の当たりにさせられるとき、人々は扇情的に感じるのでしょう。そこには暴力性、残虐性、非倫理性、後ろめたさ、罪悪感、自分の行為を知られたくない、等々の感情があるからです。「もし屠殺場がガラス張りになれば、誰もがベジタリアンになっているであろう」という言葉があります。隠している現実を撮影するのが問題なのではなく、そもそも世間に見られたくない現実を行なっていることが問題です。

>事実を歪曲した内容が多く含まれています。

事実は、データの取り方や、解釈の仕方によって変わるものです。The Coveの主張を全面的に支持するものではありません。しかし一方、和歌山県や捕鯨関係団体の主張も、データの取り方や解釈の仕方で「事実を歪曲した内容」と取られることもあり得ます。

>過激な動物愛護団体

イルカやクジラを守る活動、環境活動を表現する際、動物産業やそれらの活動に反対する人々はは「過激な」という言葉を好んで使います。確かにそのような団体や個人もいますが、それがすべてではありません。穏やかに説得的に事実を伝え、行政や国際機関とも連携しながら、社会に動物たちが置かれた現状を知ってもらい、動物を守ろうという団体の方が多いのが事実です。
もしそれらの適法な範囲で動物や環境を守ろうとする団体が過激だとしたら、何の罪もない野生動物を追い詰め、殺し、あるいは動物を一生監禁し、ショーをさせ、無理やり子どもを産ませ、殺す動物産業は過激ではないのでしょうか。
我々動物を守ろうとする団体は、普通の人が見たら過激と感じるであろう、苦しみ虐待され殺される動物の血だらけの姿を撮影し公開します。そのため、過激な団体と思われてしまう場合もあります。しかしその過激な行為を行なっているのは動物産業であって、我々ではないことに気づいていただきたいと思っています。

>太地町のイルカ漁師は、〜、昔から受け継がれてきた漁業を営んでいます。

「昔から受け継がれてきた」とありますが、太地町において、バンガー(ハツオンキ)を使った追い込み漁業が始まったのは1969年。イルカの追い込み漁が始まったのは1973年です。

>このように法に則って働いているだけ

強者や既得権者にとって都合のよい法を制定し、それを守っているから良い行いをしているとはなりません。かつては奴隷制度や、差別が法制化されていました。権利や価値観の進化とともに法律は変えていかなければなりません。弱者を搾取することを正当化する法であればなおさらです。

>町の歴史や誇りを侮辱する

事実を歪曲した歴史(かつてのイルカ追い込み漁と、近代的イルカ追い込み漁は異なる等)や、現実に即しないキャッチフレーズ(「クジラとともに生きる」等)であれば、それは検討の対象となり、間違っていれば批判を受けるのは当然でしょう。
例えば「クジラとともに生きる」を現実に即したキャッチフレーズに書き換えるならば「クジラを殺して自分たちは生きる」となります。

2 なぜ、和歌山県はイルカ漁の許可をしているのか

(和歌山県HPより引用)

イルカ漁は紀南地方の重要な産業であり、地域の伝統文化であるだけでなく、自然資源の科学的な管理および利用に基づいています。
太地町は、紀伊半島の東海岸に位置する人口約3,500人の小さな町です。経済活動の中心から遠く離れてはいますが、捕鯨の地として約400年の歴史があり、鯨やイルカを捕って、栄えてきた町であります。鯨やイルカは当地域の食文化になくてはならないものです。鯨やイルカに関する伝統的な文化行事が年中行われ、イルカ漁は地域経済に欠かせない産業となっています
イルカや鯨は、持続的に利用される海洋生物資源の一つであり、枯渇することのないように、関係機関が漁業活動を管理しています。また、国は、科学的な調査を行うことで、資源量が十分なものに限り、種類ごとに毎年捕獲頭数を定めています。
無秩序に捕獲することは、貴重な資源の減少や種の絶滅に繋がる恐れがあります。従って、イルカ漁については、科学的な資源量調査に基づき、資源保護上問題のない範囲で許可を行っているのです。

>科学的

水産庁が発表するレッドデータは、IUCNのレッドデータとはかけ離れたものです。なぜ”科学的”な調査に基づく結果が、国際機関と日本では異なったものになるのでしょう。
鯨類は、環境省が管理すべき哺乳類の野生動物であり、種の保存法や鳥獣保護法等々の法律によって守られるべき動物です。しかし水産庁は鯨類を水産資源としています。捕鯨会社が、イワシクジラをはじめとする絶滅危惧種を捕獲し続けるのは、”科学的”なのでしょうか。ここで主張している「科学的な資源量調査に基づき、資源保護上問題のない範囲」についても、疑義を挟まざるを得ません。我々はすでに、利権の主体が出した”科学的”結果は信用に足るものではなく、人間や自然に取り返しのつかない悪影響を与えてきたこと、与え続けていることを、学んでいます。

捕鯨の地として約400年の歴史があり、鯨やイルカを捕って、栄えてきた町

事実を正しく記述することが必要です。捕鯨は確かに400年の歴史がありますが、イルカ追い込み漁は50年ほどであり、静岡で行われていた追い込み漁の手法を導入したものです。また本見解では、中国等をはじめとするイルカの生体販売について触れていません。「事実を歪曲した内容」をして批判するのであれば、自ら範を示すべきと考えます。

3 欧米諸国は捕鯨をやめたのに、なぜ和歌山県では続けるのか

(和歌山県HPより引用)

1960年代から、欧米諸国などの主要捕鯨国では、鯨類資源の減少に加え、採算の合わなくなった捕鯨産業から撤退しています。また、1972年の国連人間環境会議で10年間の商業捕鯨の停止が決定されるとともに、反捕鯨の立場で国際捕鯨委員会(IWC)に加入する国が増加しました。1982年のIWC会議では、鯨類資源に関する情報に不確実性があるという理由から、大型のひげ鯨等13種の商業捕鯨一時停止が採択され、欧米だけでなく、日本も加盟していたため、1986年から2019年まで商業捕鯨を停止していました。
牛肉や豚肉を食べることが、鯨やイルカの肉を食べることと異なるとは考えておりません。また、鯨やイルカの肉が特別で、食料とすべきではないという考えにも賛成できません。日本と同じように捕鯨を生業とし、鯨肉を貴重なタンパク源としている国や地域もあります
これまで「国際捕鯨取締条約」第8条に基づいて我が国が行ってきた調査捕鯨の結果から、ミンククジラなど大型のひげ鯨の資源は増えており、食料として利用可能な種類もあることがわかりました。そこで、2019年7月に、我が国はEEZ内において、厳密な資源管理のもとで、大型のひげ鯨のうち、ミンククジラ、ニタリクジラ、イワシクジラの商業捕鯨を再開しています。
なお、イルカなどの小型鯨類はIWCの管理対象外で、各国が自国の責任により管理することとなっており、日本でも捕獲対象となる種類ごとに科学的調査に基づき、資源に影響のない範囲の頭数を捕獲しています。

>鯨類資源の減少

鯨類を資源だとする考え方があります。一方、鯨類は保護すべき野生動物であるという考え方があります。日本は前者であり、考え方の根本にずれがあるのです。かつて世界は鯨類を資源と考えていました。しかし、大量捕獲により絶滅の瀬戸際まで追いやった反省を経て、保護を行なっています。日本は、今だに自らの行ってきた過ちを認めず、反省せず、責任を他者に押し付け、利益を存続させようとしています。鯨、イルカ漁によって利益を得る人々はごくごく一部の人々であり、その人々の利権のために、我々日本人すべてが鯨やイルカを殺すことを肯定し、絶滅危惧種の動物を平気で殺し食べる人々だと捉えられています。私たちは、自ら過ちを認め、行動を変えることができる誇り高い国にしたいとしています。

>反捕鯨の立場

「捕鯨 ↔︎ 反捕鯨」ではなく「反クジラ保護 ↔︎ クジラ保護」です。


>鯨やイルカの肉が特別で、食料とすべきではないという考えにも賛成できません。

”反捕鯨”を行なっている人々は全員、鯨やイルカを特別だと考えている人々であるという思い込みがあります。例えば、我々は鯨やイルカと同様にすべての動物を食料とすべきでないと考えています。

>「国際捕鯨取締条約」第8条に基づいて我が国が行ってきた調査捕鯨

日本は、第8条で定められた本来の調査捕鯨の意図を逆手に取り悪用しました。1994年に鯨類のサンクチュアリ(保護区)に指定された南極海に進出を続け、絶滅危惧種を含めた大量の鯨類を殺しています。捕鯨利権を持つほんの一部の人間たちが、日本人を巻き込み恥をかかせ、地球環境を破壊した、ということです。

4 イルカを殺して食料とすることを、伝統や文化と呼ぶべきではないのではないか

(和歌山県HPより引用)

日本は四方を海に囲まれた島国で、古来より海産物を重要なタンパク源として利用してきました。鯨やイルカもその一部で、有史以前の縄文時代からの長きにわたり食糧源とされてきたことが判明しています。
和歌山県の紀南地方では、非常に山が多いため耕作地に乏しく、沿岸に来遊する鯨やイルカを古くから食料としてきたことは、ごく自然なことです。日本では、捕獲した鯨類は余すことなく活用されており、肉を食料とするだけではなく、その他の部分は工芸品の材料として利用されています。日本の捕鯨は、石油の利用が始まるまで、鯨油の採取のみを目的として捕鯨を行い、大量に鯨を殺しては、その大部分を海に捨ててきた一部の外国の捕鯨とは一線を画してきました
太地町で捕鯨やイルカ漁が重要な産業となり、その文化に取り入れられ、地域の人々の生業となったことは、その厳しい環境に対応するために生じた当然の結果です。
自然の恵みに感謝しながら、捕殺された鯨やイルカの供養祭を行うなどの習慣が今も続いています。大量の家畜を飼い、と殺し、食している日本の農家の人々も同じです。家畜の命を絶つことの罪を感じ、自然に感謝しながら食べています。
この営みを一方的に批判したり、不正確な情報で煽ったりすることは、価値観の一方的な押しつけに過ぎません。

>伝統や文化

なぜ中国をはじめとする国内外の水族館への生体販売について触れないのでしょう。なぜイルカ漁は、子イルカを伴う母イルカや若い女性のイルカを狙って行われていることに触れないのでしょう。和歌山県は重要な事実を隠しながら、”伝統や文化”というイメージを利用して日本人の認識をコントロールしようとしているように見えます。

>縄文時代から

確かに縄文時代から食料としてきましたが、それは座礁したイルカや鯨と言われています。縄文時代に高性能エンジンを積んだイルカ漁船や捕鯨船はありません。

>日本では、捕獲した鯨類は余すことなく活用されており〜大部分を海に捨ててきた一部の外国の捕鯨とは一線を画して

南氷洋捕鯨時代、日本は鯨油以外のほとんどを海中投棄していました。また、捕鯨業者やイルカ漁師は、密猟や違法操業、クジラの体長や性別のごまかし、捕獲数操作、監視員の籠絡、鯨肉の違法販売などを行い、さらにその他漁業の漁師は、混獲による殺害と投棄、漁師が狙う海生動物に近寄ってきたイルカを殺すなど、無法と非倫理の限りを尽くしてきました。
そもそも遺体を余すことなく使うから、殺して良いという発想が根本的に間違っています。そもそも痛みを感じる動物たちを殺してはいけない、ということです。


>自然の恵みに感謝しながら

”自然の恵み”とは、人間の自分勝手な解釈です。自分の人生を生きている鯨やイルカは自らを自然の恵みとは思っていません。
また、感謝すれば殺して良い、とはなりません。

>鯨やイルカの供養祭

供養は人間のためのものです。鯨やイルカはそれを受け取っているでしょうか。あなたが殺され、殺した相手があなたを供養し、感謝したらどう思うでしょう。

>家畜の命を絶つことの罪を感じ、自然に感謝しながら食べています。

美談が過ぎます。罪を感じるのならば止めればよい。
鯨やイルカ、ライオンは、他の動物を食べなければ生きていけません。しかし、人間は鯨、イルカ、その他すべての動物を食べる必要はありません。人間は肉も魚も食べなくて生きていけます。動物食、魚食はすべて余分な娯楽です。そして環境負荷が高い。感傷や思い込みではなく、利権を持つ人々が思い込む事実や信用性が低い”科学”ではなく、客観的な事実や国際標準の科学に基づいて論じるべきです。

>価値観の一方的な押しつけ

それはまさに和歌山県や捕鯨関係者が、クジラやイルカを守りたい人々に行なっていることです。和歌山県民でもいわゆる反捕鯨、イルカを守りたい人々がいます。太地町民でもイルカを守りたいと思っている人々が少なからずいらっしゃいます。その小さな声を黙殺し、価値観の一方的な押し付けをしているのではないでしょうか。
さらに悪いことに鯨類には、一方的な価値観どころか、痛み・苦しみ・一生の監禁・死を、一方的に押し付けています。

5 日本は経済大国であり、鯨やイルカを食べなくても生きていけるはずではないか

(和歌山県HPより引用)

日本においては、経済活動の中心から遠く離れた離島や半島、奥深い山村では、鯨やイルカ肉、その保存食が貴重なタンパク源とされてきました。今なお、鯨やイルカの肉が伝統食の重要な一部となっている地域が全国に散在し、また、その地域の出身者や小学校の給食で食べた思い出のある人々はその味を楽しみ、買い求めています。このようなことを、他の食べ物があるからという理由だけで、「やめるべき」と言えるのでしょうか。
大量に流通、販売されているものではありませんが、現に今でも需要はあります。そして、鯨やイルカを捕獲して生活をしている漁業者は、その需要に応えているのです。捕鯨やイルカ漁をやめろと言うのは、この漁業者たちに自分たちの生活を捨てよと言うのと同じです

>他の食べ物があるからという理由だけで、「やめるべき」と言えるのでしょうか。

はい。言えます。痛みを感じる他者を傷つけてまで食べたいという欲望から卒業する必要があると考えます。弱者を傷つけることを放棄し、守る概念を構築し普及することによって、我々の社会や精神は進化してきました。

>この漁業者たちに自分たちの生活を捨てよ

倫理や権利は拡大進化するものです。倫理や権利の拡大により、失われた仕事は多々あります。時代に求められなくなった仕事をしていた人々は、自分で努力し新たな仕事を探してきました。倫理と権利は動物にまで拡大しつつあります。漁業者に限らず動物産業に携わる人々は、仕事を徐々に失うでしょう。それは地球にとっても動物にとっても、社会にとってもその人々にとっても良いことだと考えます。

和歌山県や捕鯨・イルカ漁関係者は自分たちを被害者だと表現しがちですが、最も被害を受けているのは抵抗できず、無残に殺された鯨やイルカです。

6 イルカ漁は、日本のイメージを下げ、国益を損なうのではないか

(和歌山県HPより引用)

各国の食文化や食習慣は、その地域の気候、地理的条件、歴史や宗教など、数々の要因により形成されるものであり、相互尊重の精神が必要とされています。例えば、宗教の中には、厳しい戒律により禁止されている食べものがあります。しかし、自分たちが食べないからと言って、信者以外がそれを食べていることを非難することはありません。このような活動家たちによる一方的な文化的価値観の押しつけに屈しないことが、日本の国益を損なうことになるとは思いません

>日本のイメージを下げ

日本のイメージを下げているのは間違いありません。一部の捕鯨、イルカ産業利権の存続のために、日本人すべてが捕鯨賛成、イルカ漁賛成と思われています。
日本にはクジラを尊重し守る伝統文化もありました。そのような地域に捕鯨産業が入り込み、クジラを守る伝統文化を破壊してきた歴史があります。また日本では歴史的に度々動物を殺してはいけないという法令が作られてきました。日本は動物に優しい国でもありました。私たちは動物に優しい日本の伝統文化を選択し、継承し、伝え、発展させます。

>例えば、宗教

宗教と比較するのは適切でないでしょう。
私は日本人ですが、捕鯨教、イルカ漁教に入ってはいません。


>文化的価値観の押しつけ

意味不明ですが、この主張に多くの日本人はナショナリズムを喚起され、この問題の本質を見誤ります。絶滅に瀕した鯨の捕獲を止めるべきだという主張は、文化的価値観の押しつけとは何も関係がありません。また、動物の権利や解放という主張は、文化や伝統といったあいまいで短期的な価値ではなく、倫理や権利という普遍的な価値の議論です。論点そのものがずれてます。

>日本の国益を損なうことになるとは思いません。

思わないことは自由ですが、国益に損なっていないとするなら、客観的に定数的に測る必要があるのではないでしょうか。

7 イルカは知的で親しみのある動物なのに、どうして日本では食べるのか

(和歌山県HPより引用)

人は皆、生きるために生き物の命を奪っています。西洋の国々では牧畜が盛んであり、大切にかわいがって育てた家畜をと殺して、食料としています。
日本では、食事をするときに、自分たちが生きるために捧げられた命に対して、感謝の心を表すために『いただきます』と言って手を合わせます。イルカだけでなく、牛や豚などの家畜にも感情や知性があり、これらすべての動物には、我々と同じく生きる権利があります。しかし、肉を食べるために、我々はこれらの動物を殺さなければなりません。漁師たちが捕獲するイルカの種類や頭数の制限を厳守し、生活のためイルカ漁をしている限り、食べてよい、いけないという観点で動物を区別することは理解できません

>生き物の命

動物のために動物を食べない人々(ヴィーガン)は「命」という概念で行為を決定していません。対象が痛みを感じるか否かで決定しています。少なくとも、痛みを感じると科学的に証明されている動物を傷つけるのは止めるという判断です。

>大切に、かわいがって、捧げられた、感謝、いただきます

これらすべて、傷つける側の自分勝手で独善的な感傷です。自分が殺されてそのような言葉を言われたらどうでしょう。自分がやられて嫌なことはしてはいけない。これは簡単な言葉ですが、真理であり実行は難しい。しかし我々はそれをできるかぎり行動に移しています。自分勝手な感傷で自分自身を誤魔化し、弱者を傷つけることはしません。


>我々と同じく生きる権利があります。

相手に権利があると知りながら剥奪しているのは、権利があると知らずに剥奪しているより悪質です。相手の権利を、自分の価値観や欲望のために剥奪することは許されることではない、というところまで思いを及ぼす必要があります。

>我々はこれらの動物を殺さなければなりません。

不要です。前述したように動物を食べる必要は全くありません。ゆえに、「殺さなければならない」ということはあり得ません。

>動物を区別することは理解できません。

動物を区別していません。
違いは、
動物を区別していない、ゆえに、すべての動物を殺す
としているか、
動物を区別していない、ゆえに、すべての動物を殺さない
という違いです。

なお、現実的に100%動物を殺さないで生きることはほとんど不可能です。例えば気づかないうちに虫を踏み、野菜を食べていても間接的に虫を殺しているかもしれません。しかし、倫理と非倫理、善と悪 などは、1か0ではなくパラメータです。ある行為を成す場合、倫理60%:非倫理40%と分析し、その行為を成すかどうか判断できます。より倫理的な行為、より善である行為を意識的に取り続けることが、社会を良化していくと考えます。なお、すべての動物を殺さない社会は人間の意識の進化、科学の進化とともに実現していくでしょう。

8 イルカ肉には高濃度の水銀が含まれているが、食用に用いるのは安全か

9 イルカ肉の摂取は水俣病につながるのではないか

参照:和歌山県HP

>安全に食べることができます

歴史を参照すると、これまで行政や産業により一般市民が多大な被害を受けてきました。水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく等公害、薬害、被曝等々。その度に行政や産業は自らに有利な研究結果を提出してきました。ゆえに私たちは、産業の存続によって利益やポジションを得る行政機関や研究機関、学者が提出する研究結果を鵜呑みにし、リスクを受け入れることはありません。また、耐容一日摂取量には年齢、性別、生まれながらの体質等個人差があり、リスクは避けるべきです。さらには、鯨肉も含め健康被害の可能性があるものを給食等で一律に食べさせることは、未来を担う子どもたちに対しての責任をないがしろにするものです。

10 一部のイルカ肉はまぎらわしい表示で販売されているのではないか

(和歌山県HPより引用)

現時点において、イルカ肉が鯨肉として不正表示されている例はありません。そのような法律違反に関する具体的な情報を把握した場合は、国や市町村と連携して必要な調査等を実施します。
そして、その事実を確認した際は、JAS法(農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律)に基づいて、規制当局が違反事業者に指導を行い、適正表示の徹底を義務付けます。

>不正表示

「現時点において」とあやふやな表現をされていますが、かつて日本ではイルカ肉を鯨肉と偽装表示して販売する例が多発していました。
現在では、太地町内では「ハナゴンドウ 」と表示され、太地町外では「ゴンドウクジラ」と表記されている場合があります。また「いるか」と表示されていても、その種類は記載されていないこともあります。これらは不正表示ではないでしょうが、まぎらわしい表示、あるいは、事実を正確に記載していない表示ではあります。

11 太地町のイルカ捕獲方法は非人道的ではないか

(和歌山県HPより引用)

太地町におけるイルカ追い込み漁は、以前は、映画『ザ・コーヴ』で示されたとおり、イルカを入江に追い込んだ後に、銛を用いて捕殺していました。
しかし、2008年12月以降は、イルカが死ぬまでにかかる時間を短くするために、デンマークのフェロー諸島で行われている捕殺方法に改められています。この方法では、捕殺時間は95%以上短縮されて10秒前後になりました。イルカの傷口も大幅に小さくなり、出血もごくわずかになりました。
また、家畜の解体が人目に触れないように専門の施設内で実施されているのと同様に、2008年12月からはイルカの解体も人目に触れない場所に移され、太地漁港内の新しい衛生的な施設内で行われるようになりました。
映画『ザ・コーヴ』で指摘された問題の多くは解決されています。

>デンマークのフェロー諸島で行われている捕殺方法

フェロー諸島では、屠殺後血抜きを行います。ゆえにフェロー諸島の鯨・イルカ漁では、海が血で真っ赤に染まります。一方、太地町のイルカ追い込み漁では、海水に流れる血の量は格段に少なく、真っ赤に染まることはありません。これは銛を刺した穴に栓をし、血が出ないようにするためです。そのためイルカたちは自分たちの血で溺れているであろうという予想もされています。現にフェロー諸島の漁師は、太地の方法を無駄にイルカを苦しめる方法だとして批判しています。

>映画『ザ・コーヴ』で指摘された問題の多くは解決されています。

ではなぜ批判が続くのでしょう。問題が解決されていないからです。

イルカ漁の実際

イルカ漁に賛成する人々、反対する人々ともに、太地町で行われているイルカ漁を実際に見たことがある人は少ないでしょう。
現地で見ることをお勧めします。イルカたちが殺される時の息遣いや、尾びれで水面を叩く音、子どもを必死で守ろうとするイルカたちの姿を見ると、また違った感情をいだくかもしれません。

イルカ漁:動物解放団体リブ撮影(YouTube再生リスト)

12 日本だけが捕鯨やイルカ漁を継続しているのではないか

(和歌山県HPより引用)

鯨もイルカも鯨類ですが、一般的に成体が4mを超えるものを鯨、4m以下のものをイルカと呼んでいます。国際捕鯨委員会(IWC)は、大型の鯨の捕獲を規制対象としており、イルカや小型の鯨の捕獲については規制していません。
大型鯨の捕獲規制の例外として、先住民が生計を維持するため、アメリカで55頭、ロシアで125頭、デンマークで207頭、セントビンセントで4頭の捕獲が認められています。
ノルウェーとアイスランドは、IWCの規制に異議申し立てを行い、商業捕鯨を継続しており、2016年には、それぞれ591頭、46頭を捕獲しています。
日本は、これまで「国際捕鯨取締条約」第8条に基づく調査捕鯨で年間1,180頭を捕獲枠としていましたが、2019年6月末にIWCを脱退し、それ以降はEEZ内において厳密な資源管理のもとで商業捕鯨を再開しています。
一方、IWCが規制していないイルカなどの小型鯨類は、資源が枯渇しないように各国の自主管理のもとで捕獲が行われています。日本では、2016年において、2,246頭(2015年は2,637頭)を捕獲しています。うち、和歌山県では、981頭(2015年は1,014頭)を捕獲しました。
このように世界中の多くの地域で鯨類の捕獲が行われており、日本だけが行っているわけではありませんし、ましてや太地町だけが行っているわけではありません。

>国際捕鯨委員会(IWC)

日本は、IWC加盟国への工作によって捕鯨への支持を取り付けていました。捕鯨を行っていないカリブ海やアフリカ諸国などにODAの無償資金援助によって票を買い、捕鯨賛成国を増やしたとみられています。さらには、IWC加盟費や年会費の肩代わりをしたことすらあります。東カリブ海の島、SVG(セントビンセント・グレナディーンズ)には日本人研究者が訪れイルカ産業を育てています。日本の捕鯨産業は戦前から、自らの利益を確保するために国際社会をを騙し、誤魔化し、だまし討ちをし続けています。そしてそれはすべて知られています。知らぬはプロパガンダ下にある私たち日本人ばかり。国際社会から私たちがどうみられているか想像してみてください。私たちは擬似ナショナリズムの壺から出て、日本を真に誇れる国にしなければなりません

13 水族館へのイルカ生体販売について

和歌山県の公式見解にこの章はありません。


最初に書いたように、

和歌山県の公式見解には、日本の水族館・中国をはじめとする海外の水族館に大量に売られているイルカの生体販売について一言も触れられていません。

イルカ漁の目的は二つ。
 ● 生体販売(世界中の水族館にイルカを売る)
 ● 遺体販売(殺害し食べる)
両者を比べると、生体販売の方が収益を上げており、イルカ漁の主目的といえます。
にも関わらず、公式見解は後者しか触れていません。

生体販売について

2009年9月~14年8月のイルカ生体販売数は計760頭。内国内販売は406頭、輸出は354頭。中国216頭、ウクライナ36頭、韓国35頭、ロシア15頭など12カ国。
2018年には、太地町立くじらの博物館が、中国の水族館 福建天柱山海洋大世界と5年間で300頭のイルカ輸出と飼育技術を販売、15億円の契約を交わしています
イルカの販売に関して、以前は情報開示請求により情報を得ることができました。しかし現在、太地町は第三セクターである太地町開発公社にイルカの販売をさせ、情報開示請求に応じなくて済むようにしています。
太地町は中国にイルカを生体販売しているだけではなく、中国人イルカトレーナーの養成も行っています。「なぜ、和歌山県太地町と中国とのパイプが強いのか、和歌山県白浜の民間動物園であるアドベンチャーワールドにパンダを連れてこれるのか、偶然ではない、和歌山県には二階俊博先生がいるから」。これは地元の方の言葉です。

子イルカと母イルカ

少し触れましたが、イルカ漁は、子イルカとその母親を狙います。子イルカはまだ泳ぎが苦手でスピードが遅く、深く潜れません。イルカ漁船はイルカの群れを囲んで轟音で脅すことによって追い込みます。子イルカは驚きパニックになります。母親のイルカは本当は逃げることができるのですが、子どもを守るため逃げません。現地でイルカ漁を見ると、子どものイルカを守るため両側にイルカが寄り添い守る姿が見られます。
イルカのポッド(群れ)は家族や仲間です。ナーサーリーポッド(育児の群れ)と呼ばれるポッドがあります。これは子育てに慣れていない母親を、年長の女性のイルカたちがサポートするためのポッドです。かつての日本の家族やご近所のような助け合いをしています。生まれたばかりに子イルカは泳ぎが下手なため、溺れてしまうことがあります。そんなときは、母イルカが背中に乗せてあげて、子イルカの呼吸を助けます。母イルカが疲れてしまった時は、他の女性が変わって背中に乗せてあげるなどサポートします。そのようなポッドは、イルカ漁では捕獲や殺害が簡単なのです。
太地町のイルカ追い込み漁では、まだ1mにも満たない子イルカを殺しています。子イルカたちはまだ甘えたい盛り。しかし母親やサポートする女性たちごと殺され、食べられてしまうこともあります。(参照 https://youtu.be/EU2zAySVx3Y

水族館とイルカトレーナー

イルカ漁には、水族館関係者、イルカトレーナーが参加することがあります。イルカの選別を行うためです。追い込まれ、パニックになっているイルカたちを、イルカトレーナーたちは笑いはしゃぎながら選別し、母親と子どもを引き離します。
水族館やイルカトレーナーが求めるイルカは、若くて肌の綺麗な女性のイルカです。人間で言えば中学生くらいの女の子を手に入れようとします。大人しく、従順で、将来的に妊娠させれば無料でイルカが手に入るからです
そのようにして連れてこられたイルカたちは、空腹を利用され訓練され、食べ物をもらうため生きるためにジャンプしています。それがイルカショーです。

私たちは伝統文化、娯楽、感謝の元で、イルカたちを悲しませ続けています。

イルカの異常行動

水族館に囚われたイルカたちは、イルカ漁で与えられたトラウマ、狭いプール、拘禁反応などにより異常行動に陥ります。リブ代表の目黒は、イルカが監禁されているすべての水族館を現地調査しました。すべての水族館に、異常行動に陥っているイルカがいました。
水族館のイルカ 異常行動

また、水族館のイルカは流産や様々な病気に苦しんでいます。
イルカの繁殖死亡率89%
イルカへ投与していた薬61種類

太地町のイルカ漁で自然や家族から引き離され、日本中の水族館に売られ、監禁されたイルカたちは、今この瞬間も苦しみ続けているのです。

陳情書の提出を行いました

陳情書

動物解放団体リブでは、2020年12月11日、和歌山県議会に、
和歌山県太地町における鯨類追込網漁業において、
「乳飲み稚いるか及び稚いるか(乳飲み稚いるかを含む。)を伴う雌いるか」
の捕獲を禁止する旨の制限又は条件の規定についての陳情

を提出しました。

これはイルカ追い込み漁に、赤ちゃんイルカ、子どものイルカ、それらを伴う女性のイルカの捕獲の禁止を条件として制定することを求める陳情書です。

これから毎年陳情書を提出し、請願に切り替え、条件の制定を勝ち取ります。

署名

それと合わせて署名を開始いたしました。イルカたちが置かれている現状を広く伝え、イルカを守りたい人々を増やし、イルカたちを守る条件の実現を後押しするためです。ご賛同いただける方はぜひご署名ください。

最後に


私たちの体はすべて、地球からできています。地球から元素を取り込み、成長し、循環し、やがて朽ち、死んで地球に戻ります。私たちは自然の一部でありながら、いつからか地球や動物の支配者として振る舞い、略奪と殺戮の限りを尽くすようになりました。それがヒューマニズム=人間中心主義です。
我々はヒューマニズムから脱却し、先ずは動物までを包摂した社会を作ろうとしています。
痛みを感じる動物たちの尊厳と自由を尊重し、動物に権利を認め、同等の仲間とする考え方、それがアニマリズムです。
アニマリズムの観点に立つと、イルカ産業、捕鯨産業、すべての動物産業、そして動物消費者はその人間中心主義に気づかず、感謝や伝統文化等、自分たちのみに都合良い美談の陰に隠れ、弱者を傷つけ、搾取し、殺してでも、欲望を保持しようとしていることが、あまりに明白に見通せます。
私たち人類は社会的に進化してきました。それは常に、弱者を社会に包摂する方向に進んでいます。
私たちは常に弱者の側に立ちます。


動物解放団体リブ 目黒峯人

関連リンク
映像で見るイルカ漁の手順
●イルカ漁の基礎知識
イルカ漁 YouTube再生リスト
日本に監禁されているイルカたちの名前 全リスト
水族館のイルカ 異常行動

《参考資料》
鯨に挑む町―熊野の太地(熊野太地浦捕鯨史編纂委員会)
捕鯨問題の歴史社会学(渡辺洋之)
イルカ―小型鯨類の保全生物学(粕谷俊雄)
日本沿岸捕鯨の興亡(近藤勲)
イルカのくれた夢(三好 晴之)
日本はなぜ世界で一番クジラを殺すのか(星川淳)
イルカ漁は残酷か(伴野準一)
追い込み漁の太地イルカ、半数は海外に輸出 (日本経済新聞)

この記事を書いたライター

リブ_シンボル

動物解放団体リブ編集部

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